中学、高校時代の国語の教科書に取り上げられていた「柳田國男」というお爺さんを覚えておられるだろうか。
「民俗学」という、昔話などの民間伝承をもとに文化を研究する学問を創設した人である。
日本の消えゆく文化、習俗を数多く書き残した。日本の偉人のひとりと言って間違いないだろう。
最近、その柳田國男を読み返している。
正確には、かつて読もうとして挫折した柳田に、再度挑戦している。
いままでは、彼が何を言いたいのかよくわからず、読み始めると、ついウトウトと寝てしまい、なかなか読み進めないことが多かった。
学生時代には、どこが面白いのか分からなかったのであるが(いまもよくわからぬことのほうが多いのだが…)、最近は年を重ねた分、文章の行間から滲み出てくる「柳田節」ともいうべきものを楽しめるようになってきた。
「楽しめる」
と書けるのは、文庫版「柳田國男全集」のおかげである。
これはすべて現代仮名遣いに編集し直してあるのだ。
ハードカバーの全集や選集のように全編旧仮名遣いだったら、また挫折を余儀なくされただろう。
ただし、現代仮名遣いに編集されていても柳田の文章は読みづらい。
彼が調べた事実をただ並べていたり、自分の印象をひたすら書き綴ったり…
さらには、突然、過去の旅の回想が始まったりして、迷路の中を歩いているように気になってくる。
また、彼は、ひとつの随筆中に同じ対象をカタカナや複数の漢字で書くことがあり、それも読みにくい原因だと思っていた。
そのときは、失礼にも「その場の気分で書いているのだろう、いい加減な爺さんだよな」と思っていたのであるが、どうやら違うようなのだ。
昭和2年に書かれた「雪中随筆」という作品がある。
これは、コタツの文化史とも言うべきエッセイなのだが、その中で、「コタツの普及には炭焼きの技術が不可欠だった」と書かれている。
木炭によって火種を運ぶことが容易になり、「出井、奥座敷、離れ」というところまでコタツの設置を可能とした。
この火種のことを、柳田は、初めに「オキ」、次に「ヲキ」と表記しており、最初は何のことかよく分からなかった。
しかし、最後に「燠(おき)」と書かれていたのを見て、
腑に落ちた。
「奥」に「火」があるのである。
調べなくても想像がつくではないか。
(漢字というものはかくも有り難いものであったのか! ちなみに「燠(おき)」とは、赤くおこった炭火のことである。)
このエッセイが納められた「雪国の春」の序文には
「…、私は暖かい南の方の、ちっとも雪国でない地方の人たちに、この本を読んでもらいたいのである。」
と書かれている。
炭やコタツとは縁が遠い人々に、雪国に暮らす者の文化をいかに伝えることができるか。
最初は「ヲキ」「オキ」と書いて読者に?と思わせておき、最後に「燠(おき)」と書いて納得させようとする、柳田翁の苦心の跡が伺える好エッセイとなっている。
やっと柳田翁の文章を楽しみ方がわかった、と実感できた作品である。
(第2回に続く)
※参考文献:「ちくま文庫版 柳田國男全集2巻」
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